MOAI-TECH: この度はモアイテックの要望をお受けいただき、誠にありがとうございます。ミュージシャンとしてのあなたの経歴をより理解できると、このインタビューにとても興奮しております。新田さんはどのようにしてビデオゲームの音楽制作に興味を持たれたのでしょうか?

Tadahiro Nitta: 私は幼いころから耳から入ってくる刺激、つまり「音」という存在に興味を示していました。自然界の音や、工場や車の音、全てが好きでした。

この自然界の音とは別に機械から聞こえてくる音にも興味がありました。それはテレビやラジオ、レコードやカセットテープで聴くことのできるオーディオというものです。

私は、スピーカーと呼ばれる装置から音が聞こえることに最も興味を持ち、父親のラジオカセットレコーダーを譲り受け、毎日夢中で音を聞いていました。

そんな頃、ビデオゲームに初めて出会います。TAITOの「スペースインベーダー」でした。

それまでに聞いたことのない音を聞いたのです。

当時はまだ幼かったので、凄いなと感じているだけでしたが、やがてNICHIBUTSUのムーンクレスタやNAMCOのギャラクシアンが登場します。これには「スペースインベーダー」では聞くことのなかった「音楽」が流れていました。

この美しい音楽は、私がそれまで知っていた、人が演奏する音楽ではなく、人が書いたプログラムによってコンピューターが自ら演奏していることを知りました。それは私が15歳の頃でした。

私は、この美しい音楽を生み出す世界と関わりたいと思うようになりました。

1989年、マイクロキャビンにどのように雇われたか覚えていらっしゃいますか?

私が高校生の時にデモテープをマイクロキャビンに送りました。それをマイクロキャビンに気に入っていただき、その後面接をして、

マイクロキャビン入社選考のため、採用試験や特定の課題を受ける必要はありましたか?

当時は、デモテープ(楽曲)クオリティーをマイクロキャビンが確認して、良ければ後日に面接をするというものでした。

課題があったことは覚えていません。

マイクロキャビン在籍中の印象的なエピソードが何かありましたら教えてください。

私が書く演奏プログラム(MML)は書き込みが多く、とても複雑した。それに伴い、ゲーム全体の処理に負荷をかけてしまうことが多くありました。

当時のプログラマーは、私が引き起こす負荷に対処するために、演奏に使うコマンドを削除しましたが、私は削除されたコマンドを補うため、更に複雑なMMLを書きました。

そんな私の執念に、そのプログラマーは笑っていました。

マイクロキャビン入社前に、他社で仕事をしたことはありますか?

ありません。

自宅で仕事をしましたか、それともマイクロキャビンのオフィスで仕事をしましたか?

オフィスです。

マイクロキャビンにはどのような職場環境がありましたか?

MSX開発当時、私のオフィスは、モニターとMSX,小さなスピーカー、CASIO-SK1、電卓があるだけでした。

当時のマイクロキャビンは4階建ての小さなビルディングでしたが、最上階にある休憩スペースがとても気に入っていました。

新田さんの楽曲を使った最初のビデオゲームを覚えていますか?

PC-8801/9801の「Xak」です。

たとえば「Xak」シリーズなど、ヨーロッパでは多くのMSXユーザーが90年代のマイクロキャビンの傑作に出会うことができました。シリーズが完結しても、その世界観はプレイヤーを魅了しています。もちろん、新田さんの楽曲はMSX-Musicでも最高の部類に入るもの、または最高そのものと見なされました。これほど壮麗なBGMを、MSXのサウンド制約内でどのように生み出しましたか?

MSX-Musicが当時のPCの中で唯一優れているのは、発音数の多さです。PSGとOPLLを合わせると12声になります。私は常にPSGとOPLLを組み合わせることを目指していました。PSGの存在がとても重要なのです。

OPLLは音色の制約が多いですが、様々な音の組み合わせを日々探し続けました。探し続ける以外に方法はありません。

私のようなRPGマニアを除いて、ヨーロッパのMSX界ではほとんど見過ごされていましたが、「ファイナルファンタジー」も素晴らしいRPGでした。植松伸夫さんと一緒に仕事をするようになりましたか?

「ファイナルファンタジー(MSX)」の開発が決定し、スクウェア社に挨拶にいきました。植松伸夫さんと直接お会いして楽譜を手渡され、少し言葉を交わしましたが、彼と一緒にいた時間は数分だったように思います。

彼とはその後一度もお会いしていませんし、一緒に仕事をしたことはありません。

MSXで作曲するために、何のソフトとハードを使いましたか? メガCD、PCエンジン、X68000など、他のコンピューターやゲーム機の曲作りに使うものと同じでしたか?

MML、コンバート形式のソフトを使っていました、ソフトについては、私から詳しく話すことはできませんが、

MSXでの作曲はMSXで、X68000にはX6800。ターゲットのハードを直接使っていました。

また、私はメガCDやPCエンジンの内蔵音源には関わっておりません。

音楽制作のプロセスはどのようなものでしたか?

思いつくままに、MMLを書きました。

マイクロキャビンの楽曲は、PSGとFMのミックスが完璧です。マイクロキャビンのサウンドドライバーは新田さんの「秘密兵器」でしたか? 他のゲーム用にそのソフトウェアを改良しましたか?

マイクロキャビンで使用したドライバーは「秘密兵器」と呼べるものではありません。至って普通のドライバーです。

MSX専用に改良された部分もありますが、テンポの設定に自由度が増す、といったものです。

今でもこれらのツールをお使いですか?

使っていません。

マイクロキャビンがコンピューターゲーム制作から撤退した後、新田さんは何をされていましたか? 当時の同僚と今でも交流がありますか?

撤退したあとは、「パチンコ」のサウンド制作を数年しましたが、その後マイクロキャビンを退職しました。

数名ですが、当時の同僚との交流はあります。

思い入れ深い過去の楽曲群のカバーアルバムを制作したことは記憶に新しいです。新田さんが今でもMSXを所有し、使用していることを知り驚きました。MSXを使い始めたのはいつからですか。他にはどのような機器をお持ちでしょうか?

驚かれるかと思いますが、マイクロキャビン当時、私はMSXユーザーではありませんでした。オフィスにMSXがあり、これに関わることだけでした。

2020年にオランダのファンからメッセージが届きました。世界には私のファンが今でも多くいらっしゃることを知り、私は再び目覚めました。

私は、かつて多くのプラットフォームで仕事をしましたが、その中で最も私の存在を形成したと言えるのがMSXであると知ることができました。

私は再びMSXでの活動をするために、初めてMSXユーザーになりました。それは2020年のことです。

『Oasis in 2op』の最新作を楽しみにしております。未来の活躍のため、他の仕事をする予定はありますか? これらアルバム制作に加えて、今でも現在のビデオゲームのために曲を作っていらっしゃいますか?

新作につきましては、機密にしなければならないこともあるので、今後も楽しみにしていてください。

『シェンムー』は世界的にも歴史に残る名作です。『シェンムー』に参加できたのは、それまでの実績が認められてのこととお考えですか? 

もし、そうであれば幸いなことです。

新田さんへのインタビューは本当に名誉であり幸運なことでした。私たちに楽しいひとときを与えてくれたことと、これからも与え続けてくれることに深く感謝いたします。新田さんの今後のご活躍に期待しております!

私こそ大変光栄です。ありがとうございます。