新谷正光は、システムを放棄したり延期したり、黄金期に夢中になったMSXユーザーにはあまり知られていないかもしれません。あなたがMSXを持っていた、または持っている場合はほとんどありませんが、GolvelliusやZanacのようなタイトルを覚えていないことは不可能です.私たちは、MSXユーザーに最も愛されている会社の1つであり、他の任天堂とセガのプラットフォームでも楽しんでいて、今でも楽しんでいるCompileの社長兼創設者に他ならない.

MOAI-TECH: 新谷さん、創刊 25 周年の Moai-Tech マガジンに時間を割いていただき、ありがとうございます。最近、彼がいくつかのインタビューを受けていることは知っていますが、多くのファンから100時間のエンターテイメントを生み出し、私たちの家を魔法で満たし続けている人物について知ることができるのは常に喜びです. 私たちはすでにその始まりを知っていますが、さらに先に進みたいと考えています。

新谷正光氏の出身地と、Apple II を購入する前にコンピューター サイエンスに興味を持ったきっかけを教えてください。

■出身地:
広島県三原市です。

■コンピューターに興味を持った切っ掛け:
中学時代は数学で全校一位を取ったくらいで、数学が得意だったので、自然とコンピュータに魅かれました。

これが、このコンピューターを所有することで、Programmers 3 で同僚と開発するための知識をあなたに与えた理由でしたか? Broderbound America の Lode Runner や Choplifter のようなゲームの変換ですか?

■コンピューターの所有:
1978年実家の広島県尾道に住んでた頃、父親が私がコンピューターに興味があるので、将来のために50万円するAPPLEII64Kを勝ってくれました。

■開発の知識:
Progammers3のメンバーからではなく、まず、APPLEIIのマシン語、BASICなど独学でゲームを2作つくりました。MSXの仕事を請け負ってから、本格的にCP/Mとマクロアセンブラーを独学でマスターし開発しました。周りの仲間もほぼそうです。

■Load runner と Choplifter について:
BroderbundからC言語のソースをもらったので、当時バイトの広島大学生の田中君がマシン語に逐語変換してくれたので、動きはAPPLEIIと同じように再現できたと自負しています。

Programmers 3 はどのようにして生まれたのですか?どのようにしてその一部になりましたか?

■Programmers3について:
コンパイルを設立する頃に、東京で設立されたようで、私とは無関係です。APPPLEIIのAEのヒットに驚き、喜び、憧れました。MSXの開発の絡みで、Programmers3 と知り合いになり、ソニーやポニーキャニオンを紹介してもらった。

Broderbund 期間はどのように始まったのですか?

Progammers3さんから紹介してもらって、Load runner, Choplifterの仕事をさせてもらった。

ソニーがあなたをゲーム制作に起用することを決めたのはいつですか?
この発表に対するあなたの反応はどうでしたか?

ソニーさんをProgammers3さんからの紹介で、超憧れのソニーさんとの仕事なので、舞い上がるくらい感激していました。

セガのような別の巨人が彼らのドアをノックしたのは、ソニーと契約した後でしたか?

もうかなり昔のなので、どちらが先が覚えてませんが、ほぼ、同時期です。こちらは広島市にあるクロストークの社長の上野氏の友人で、東京の日創の営業マンからの紹介です。コンパイルの仁井谷が仕事にありつけてないのを同情してですね。直接、セガでコンパイルと契約が出来たのがよかったです。セガとのサードパーティの第一号であることも誇りです。

ヨーロッパでは、彼の作品を知るのが少し遅くなりました。それでも、その商業期にいくつかのMSX作品が登場しました。ザナック、ガーディック、ゴヴェリウス、アレステ..。日本企業がより多くのゲームを輸出することに関して、日本とヨーロッパの間でより良い理解が得られなかったのはなぜだと思いますか?

おそらく、まず、MSXについては国内市場についてしか知りませんです。ヨーロッパや南米でMSXが売れてるとかをしりませんでした。

最も多作なゲームのジャンルはシューティング ゲームだったようですね。 Gulkave、Zanac、Aleste、Guardic、Final Justice、Blaster Burn... Compile の最高のゲームはこのジャンルにあると思いますか?

コンパイルの金看板ジャンルだと思ってましたので、そういうことですね。だから、後半は採算を度外視していました。

もちろん、Golvellius のような魔法のゲームも忘れていません。 MSXユーザーにとっては、私たちの特定のゼルダです. Crusader がこの偉大な作品の前身と見なすことができるかどうか、また、MSX、MSX-2、および Sega Mark III バージョンで販売できた Golvellius のコピー数について教えてください。

沢山のゲームをだしたので、Golvelliusについては記憶してません。

ぷよぷよは、Compile を最も認知させるフランチャイズでしたか?
ザナックやアレステと一緒に手に入れたらよかったのでは?

うむ、意味が理解できませんが、ま、ぷよぷよ以降の収入源はぷよぷよですね。実験はMSX、PC98のDiscStationでやってました。

彼らが最も快適に開発できるプラットフォームはどれでしたか?
どれが一番楽しかったですか?

おそらく、ゲーム会社を運営していくためには、それぞれの時代に併せていかなければならないので、決められないです。ただ、MSXとSC3000はマシンがシンプルなので、一人で全てを構築できるので、それはそれで一番よかった。でも、現在のほうが、ツールが無料でふんだんに使えるので、今は今でいいのかなと思います。

コンパイルでの優秀な人材の選考プロセスはどのように処理されましたか?

初期は身近なパソコン仲間からですね。数年してからはリクルートで新卒の四年制の大学生をプログラマー適正テストで選びました。それに発想力があるかないかとか、カラオケでの選曲、歌唱力などを加味しました。

今でも Compile ゲームをプレイしている人がいることに驚きましたか?

Compileが元気なころも、Compileの開発したゲームをさがすとか、Compileの広報誌「コンパイルクラブ」を全巻集める人とか、「DiscStation」を全巻集めるとかという話をよく聞いてたので、驚きというよりも、そうなんだと関心をし、うれしいです。

古い Compile の同僚と会ったり、連絡を取ったりしていますか?

基本的に、あまりないですね。仕事がありそうだったら、連絡するくらいですね。亡くなったケロルさんとは時々、新しい企画の相談をしたり、就職先をお世話をしたりしたことがあります。南野(のうの)さんとはyoutubeに付き合ってもらい、小ブレイクすることができました。ただ、藤間氏とは情報交換をSNSなどで時折しています。

まだ Apple II をお持ちですか?

たぶん、コンパイルの最期にあった倉庫の中身を預けてるので、その中にあるかもですね。

CompileO の調子はどうですか?

ただただ、にょきにゅきのSwitch版を作るための資金待ちです。年内には目途がたつかもですね。

にょきにょきは、ぷよぷよの影響を受けた、全く新しい顔をしたゲームのようです。後者の成功が、同様の公式を繰り返すきっかけになったのですか?

にょきにょきはぷよぷよの宿題です。私の人生の課題です。ぷよぷよには弱点が2つあります。一つは連鎖を習得するには3~5年かかることです。もう一つはマスタークラスの人と初心者が対戦すると100対0になることです。これでは初心者は離れていきます。現状日本国内でぷよぷよのサークルが沢山ありますが、年々平均年齢は上がってます。
この二つことを解消したいと10数年考えていました。
その答えがにょきにょきです。


にょきにょきは遊ぶと、一時間以内に誰でも、ルールを直感的に理解できます。自分なりの遊び方、攻略方法を編み出すことができます。観戦してる人が全員、戦ってる人の勝ち方を声を出してアドバイスできませす。
ゴルフや囲碁のようにハンディキャップがあるので、初心者とマスタークラスの人がほぼ、対等に戦えます。パズルでこんなゲームはないと思います。

Esportのゲームで唯一、遊んでる人と観客が一体化できるのがにょきにょきです。これで、二つの弱点を克服して、私の課題が解決出来そうです。

今後の予定は?

来年年末にはSwitch版を発売したいです。

お時間をいただきありがとうございました。

ありがとうございます。COMPILE〇も歴史に永遠の轍を残したいです。