個人制作の投稿作品ながら市販品顔負けの内容。30年の時を超えた復活劇。様々なプラットフォームでの展開。「イレバン」は何かと興味深いタイトルだ。この名作はどのように生まれたのか。その秘密に迫るべく、作者・西田浩一さんに電子メールでインタビューを試みたところ、親切にも丁寧なご回答を頂くことができた。

 ここにその質問と西田さんのお答えを公開する。お答えはいずれも制作の背景を詳細に語るもので、当時の事情がうかがえる貴重なものだ。そこからは作品に込められた情熱がありありと伝わってくる。このインタビューが「イレバン」の魅力を知る一助となれば幸いである。

 本名荒井: まずは基本的なことを伺いたいとおもいます。制作時期や期間、製作人数、使用したハードやツール、デバッグやテストプレイについてなど、MSX版「スーパーイレバン」がどのような体制で作られたかについてお教えください。また、2017年にROM版を製作した際の様子も教えていただけると嬉しいです。ゲームの大部分は西田さんが作られたものとおもいますが、エンディングに協力者としてクレジットされている「ATSUSHI HIROTA」さんがどんなことを担当していたのか、個人的には気になります(笑)。

 西田浩一さん (TULIP HOUSE): 詳しいことは憶えていませんが、X1版で優秀賞を頂いてすぐに制作を開始したと思います。1987年の暮れに投稿したことは憶えています。ですから8か月ぐらいでしょうか。高校に行きながらですから、徹夜して作ってたのかもしれません(笑)。高校の友人のHIROTA君が、キャラクタやアイデアを手伝ってくれました。ハードは、X1csで開発して、ジョイスティックポートでCanonのV-25(MSX2)に繋いでプログラムを転送して動作確認してたと思います。V-25は、X1版の賞金で買ったんじゃなかったかな?テストプレイは、HIROTA君もやってくれたと思います。

 ツールは、基本的にX1のテープベースのアセンブラを使ったはず。MIAという出版社の「X1マシン語プログラミング入門」という本に載っていたダンプリストを打ち込んで使いました。チェックサムがなかったのですごく大変だったんですが、MIAにお問い合わせしたら、何とチェックサム付きのリストを送って下さったんです。素晴らしいアセンブラで、僕はスクリーンエディタというものを、そのアセンブラで初めて体験しました(笑)。スプライトとBGの絵を作るツールも自分で作りました。当時は、みんなそうやってたと思います。暴走したら、またテープからローダーを読み込まなければいけない。今では考えられない状況でした(笑)。



 ROM版は、それから30年後の去年、突如、思い付いて作りました。個人でプリント基板が安く作れる時代になりまして、カセットテープのケースを加工して作ってみようと思ったのです。ROM版は、8K RAMのマシンでも動くようにしたかったのですが、ソースリストがありませんでしたので、逆アセンブルして、手直し、再アセンブルしています。30年前とは違い、どのフリーのツールを使おうかな、という贅沢な状況なので、それほどの手間はかかりませんでした。

 MSX版「イレバン」をプレイしてまず驚いたのは作りのよさです。グラフィック・音楽・ゲームシステム・操作性・コーヒーブレイクデモ等々、全体が丁寧に作り込まれてあって、とても感触のよいゲームだという印象を持ちました。その基本にゲームの設計思想や制作方針があるとおもうのですが、制作にあたって大切にしたこと、気を遣ったことなどお教えねがいます。

 X1版を作るときに、敵に触れても死なないゲームを作れないか、と思ったんです。敵に触れただけで死ぬなんておかしい、と思っていたのかもしれません(笑)。それと、スムーズにキャラクターが動くゲームを作りたかった。当時の多くのパソコンでは、スムーズにキャラクタを動かすことが困難でした。でもMSXならできると思ったのです。パックマンやディグダグ、マッピー、ドアドア、80年代初頭のゲームに憧れを持っていましたので、コーヒーブレークなど、色々参考にしました。子供ながら、何とかそういう好きなゲームに近いものを作りたかったのです。

 操作性に関しては、たとえば右に動いている場合、上を押せば、梯子の位置に来たら登る、という、ドアドアなどの滑らかな操作性を参考にしました。「どうやってるのかな?」と想像しながら、色々実験したのを憶えています。

 「イレバン」はもともとシャープX1が発祥です。そのX1向けに作られたゲームの改良版がX1ではなく、主にグラフィック性能でX1より劣ると考えられていたMSX用のゲームとして登場したことは、当時意外であり驚きでもありました。なぜプラットフォームをX1からMSXに移したのでしょうか。MSXだから苦労したところ、MSXだから作りやすかったところなどもありましたか。改良版をMSXで製作した理由や動機をおねがいします。

 ゲームを作るには、X1よりMSXの方がずっと良いと思いました。グラフィックにしても工夫次第で美しく描けますし、スプライトが使えるという圧倒的なメリットがある。ご存知のように、X1はグラフィックがI/O空間に繋がってるんです。だからアクセスも遅いですし、キャラクタは「描かないと」いけません。MSXなら、座標を設定するだけでキャラクタの移動ができる。これは画期的なことだったのです(笑)。それから、MSXでは垂直同期を検出できましたので、ゲームのスピードを一定に保てた。これも、X1では出来なかったことです。複数キーの同時入力も、X1はできません。

 実はMSX2を持っていたんですが、MSX2の容量を使いこなす時間もパワーもありませんでした。テープベースで開発するなら、MSX1の範囲にした方が良いと思ったんです。ハードの価格も含め、色んな面でMSXは当時の理想だったのです。



 「ゲームインパクトマガジン」(*)の攻略漫画でも言われていますが、複雑で難しいルールはしばしば「イレバン」の特徴として語られます。覚えるべきことこそ多いものの、それらルールが互いに関わり合って巧みに機能しているのは、見事としか言いようがありません。自分が「イレバン」で特に感心した部分です。

 「イレバン」の複雑で巧みなルールは、どのようにして完成したのでしょうか? 最初から完成形や全体像のようなものが頭の中にあったのでしょうか。それともX1版の頃から様々なアイディアを徐々に追加したりボツにしながら試行錯誤を繰り返した末、現在の形になったのでしょうか。

 また、各面もその複雑なルールをうまく活かしたデザインがされていて、その絶妙さに何度も唸らされました(カラムーポやせんべいの配置が特にイヤらしい!)。各ステージがどのように製作されたか、ステージデザイン時にどのようなことを心がけたかなどもぜひ伺いたいです。

(* ゲームインパクトマガジン:日本のレトロゲームイベント団体・ゲームインパクトによる日本の同人誌。インタビュー・コラム・漫画等々、レトロゲームに関する話題を取り扱っており、2018年11月現在、4号まで刊行されている。「イレバン」は2017年11月発行の同誌第2号で紹介されている。)

 多分、僕の成長の過程で(笑)、物事を論理的に考えられる年齢になったので、ルールを考えるのが楽しかったのかもしれません。没にしたアイデアは憶えていないので、全部、実装しちゃったから複雑になっちゃったのかも。

 X1版のアイデアを元に、ステージが進むと驚きを感じられるように、色々、仕掛けを考えました。「そうだ、ミラオに秘密のドアを開けさせよう!」とか、「やってるうちに、そうか!ってわかるようにしよう」とか、考えるのは楽しかったです。当時、テレビで流れてたカラムーチョ(*)のCMとか、色んなモノからアイデアを頂きました。

 簡単なステージエディタも、BASICとマシン語で作った記憶があります。アイデアを、実際に実装できる力が付いてきたのも、楽しかったんでしょう。結果的に、すこし難しいゲームになりすぎたかな、と反省していますが(笑)。

 ただし、自由に思い付いたアイデアの実装方法を後で考えるのではなく、技術的に可能なことからアイデアを練っていくというやり方でした。一人でやっているので、何が可能で、何が難しいかがわかるからです。その方針は、僕が後に作った色々なモノでも変わりません。

 (* カラムーチョ:日本の製菓会社・湖池屋の辛いことで知られるスナック菓子。「こんなに辛くてインカ帝国」のキャッチコピーやユニークなキャラクターを用いたCMなどでも有名。本作の「カラムーポ」と「ヒーバー」はこの菓子が元ネタ。)

「イレバン」の数ある魅力の一つとして、音楽を忘れるわけにはいきません。軽快なメインBGMに効果音はもちろん、入れ歯を奪わるとすかさずピンチBGMに切り替わるところなど、「音楽の使い方をわかってる!」と実に心憎く感じたものです。その後西田さんがミュージシャン「ベジタブレッツ」としても活動していることを知り、どうりで音楽の出来がよいわけだと大いに納得しましたが、「イレバン」の楽曲や効果音はどのように作られたのでしょうか? 音楽ではどのようなことにこだわりましたか。

 ベストヒットUSA(*)とかMTVとか、音楽番組に夢中だったことは間違いないんですが、当時は音楽を演奏していた訳ではありません。友人のHIROTA君はロックバンドKISSの大ファンで、ロックやポップスが好きな二人が関わっていたことは確かです。慌ただしい音楽、不安にする音楽、といった感覚は、当時からあったのかもしれません。

 80年代初頭のゲームは既に音楽も素晴らしいものが多く、お手本は沢山ありました。音楽を鳴らすには、自分でMMLプレイヤーを作らなければいけませんが、X1版をベースに改良しました。MSX版では、ドラムの音を入れたかったのです。ノイズでドラムの音を作れないか。色々、実験したのを憶えています。MSXはシンプルでしたから、色々なアイデアをすぐに試せました。

 (* ベストヒットUSA:洋楽を紹介する日本のテレビ番組。1981年放送開始。司会は小林克也。日本における洋楽番組の草分けで、多くのクリエイターに大きな影響を与えた。休止期間を挟みつつ、現在もBS朝日にて放送中。)



 2017年にMSX用ROMカートリッジのゲームが出るだけでも驚きでしたが、さらにファミコン移植版や、FC用新作「ベジタブレッツゴー」が出たことも驚きでした。MSXとFC、どちらも90年代に衰退し、今となっては市場規模も限られたハードです。

 西田さんはTwitterで、手作りCNC装置の開発がROM版を作る理由になったと発言されています。また、個人で少量のものをいかに効率よく製造するかが自分の使命であるともおっしゃっていますが、なぜ、今MSX用のROMカートリッジを作って販売しようと思われたのでしょうか。イメージのダウンロード販売やデータを録音したカセットテープではなく、あえて個人でROMカートリッジを作って販売した動機や狙いをお教えください。

 それで期待してしまうのはやはり新作ソフトなんですが、今後新作を作ったり販売する予定はおありでしょうか。

 実は、中学生のころ、ファミコンのゲームを作りたかったんです。皆さん、同じだと思いますが(笑)。ファミコンは、当時としてはすごいハードでした。でも、当時の高校生のレベルでは、ファミコンのゲームを作ることは難しかった。情報も、開発のためのハードもありませんでした。それを思い出しまして「今ならファミコンのゲーム、できるやん。やってみよう!」と思った訳です(笑)。

 それから、音楽活動の方でもそうなんですが、日本では、ダウンロード販売は苦戦しています。大学の頃、友人が「音楽なんて、単なるデータでしょ?」と言ってたのが忘れられないんです。あぁ、世間の人は、そういう風に考えてるんだ。それなら、物理メディアを作らなきゃいけないな、と。ダウンロード作品が、ROMやテープと同じ価値があるとみなされるのであれば、ダウンロード販売でも良いと思います。でも世の中は、そうではない。僕だってファミコンのカセットを見たらワクワクする。そういうもんです(笑)。

 新作は、今のところ考えていませんが、せっかくファミコンのソフトを作れるようになったので、またいつか作るかもしれません。今、色んな環境が整ってきていて、情報も沢山ありますので、皆さんもゲーム作りに挑戦されると良いと思います。

 最後の質問です。ズバリ、「イレバン」は西田さんにとってどんな作品ですか。「イレバン」を作って変わったことや得たもの、人生に及ぼした影響、思い入れ等々をお聴かせください。

 イレバンは、自分の意思で、自分のアイデアを実現した、最初の作品でした。そういう意味で、僕のインディー魂の原点であると言えるかもしれません。一人とか二人で、すごく面白いことができて、世の中に「面白いものができたよ!」とお見せすることができる。これは画期的なことでした。それから、忍耐力も付きました(笑)。今でも、あの環境で良くやってたな、と思います。イレバン制作にのめり込んだお蔭で一年浪人しましたが(笑)、受験もゲーム感覚で切り抜けられた。その後、大変な人生になってしまいましたが、人生はゲームだと信じているから切り抜けられる。イレバンの滑稽さ、ある種の不安定さは、僕そのものなのかもしれないな、と最近、思います(笑)。

 インタービューに快く応じてくださった作者・西田浩一さんに、この場を借りて篤く感謝申し上げます。ご協力いただきどうもありがとうございました。