2017年5月、日本で一本の「新作」MSXソフトが発売された。日本はMSX規格発祥の地。永らく世界のMSX界をリードしてきたが、同規格の衰退に伴い勢いも失われた。スペインやオランダ、ブラジルといった海外諸国のユーザーが、今でも盛んに新作ソフト・ハードを発売したり定期的にイベントを開催している一方で、日本では「MSXマガジン永久保存版」以降大きな動きはなく、沈黙して久しい。

 そんな中での突然の和製「新作」MSXソフトの発売は、日本をはじめとする世界のMSXユーザーに驚きと衝撃を持って迎えられた。そのソフトこそTULIP HOUSEの「イレバン」だ。

 この作品、世に出るにあたって相当に変わった経緯を辿っている。かつて投稿作品として、一度公開された「プログラム」だったのだ。30年の時を超えてやってきた怪獣「イレバン」。ここでは「イレバン」の歴史を紹介しながら、その魅力をお伝えしたい。


「イレバン」の歴史

 もともと「イレバン」は、30年以上前、パソコン雑誌に掲載されたアマチュア作品である。作者は西田浩一氏。80年代、日本は「マイコンブーム」のただなかで、自作ゲームプログラムを広く募集し、そのソースコードを掲載する雑誌が数あった。「マイコンBASICマガジン」「ログイン」「プログラムポシェット」「PiO」等々…―これら雑誌はマイコンブームの主な担い手、当時の青少年らにとって、格好のプログラミング学習の場でもあったのだが―「イレバン」はそうした雑誌の一つ、小学館の「ポプコム」(87年5月号)に掲載された。


 最初に発表された「イレバン」は、シャープX1用に作られたものだ。もともと「イレバン」とはこのX1版の題名である。MSX版とは相当に内容が異なるが、「面クリア型の固定画面ドットイートアクションゲーム」「個性的なキャラ」「入れ歯の攻防」といった要素はすでに出そろっていた。

 X1版は当時開かれた「青少年マイコンプログラムコンテスト」で優秀賞を獲得。その受賞特典の一つとして、ポプコム誌に掲載されたものらしい。ちなみに当時西田氏は高校1年生。この受賞は同氏にとってひときわ嬉しいことだったようで、その時の賞状が今でも家のどこかにあるという。

 それから約1年後、MSX版が公開された。発表は同じくポプコム(88年4月号)。グラフィック性能ではX1に劣るとされていたMSXだが、MSXの「イレバン」は単なる移植版ではなかった。MSX版はX1版の主な要素を受け継ぎつつ、新キャラやルールの追加等がなされ、オリジナルから格段のパワーアップを遂げていた。題して「スーパーイレバン」。その完成度は非常に高く、ポプコム誌上で開催されていた「オリジナルプログラムコンテスト」の月刊優秀賞、1年間の優秀賞受賞作品の中から選ばれる年間佳作に輝いている。

 「スーパーイレバン」は市販ソフト顔負けの内容を誇るが、一つだけ大きな問題があった。リストの長さである。

 当時のパソコン雑誌の例に漏れず、「スーパーイレバン」も雑誌掲載のプログラムリストとして公開された。その長さはオールマシン語で12ページに及ぶ。



 88年当時、プログラムのダウンロードサービスやメディア配布サービスはまだ一般的ではなかった。遊ぶためには長大なリストを自ら入力しなければならず、さらに入力ミスの修正も自分でやらなければならなかった(*)。しかもそれだけの手間をかけても、雑誌掲載プログラムの常として、正常動作する保証はなかったのである。

(* 厳密にはポプコムでは、「テープサービス」こと、長大なゲームプログラムをテープやディスクメディアとして有償配布するサービスを実施していた。しかし当時電子マネーのような手軽な決済サービスはなく、小遣いに限りのあるティーンエイジャーにはなじみの薄いサービスではあった。)

 遊ぶためにはまず途方もない手間暇と、それを惜しまない覚悟が必要だった。それゆえいかに出来がよかろうと、あえて入力しようというユーザーは極限られた数でしかなかったようだ(かく言う筆者も入力したのは2012年になってからで、しかも省力化のためOCRを使った。)。結果、インターネットもSNSもない当時、その名や評判が広く知られることもなく、「スーパーイレバン」はマイコンの歴史に埋もれることになってしまった。西田氏のTwitterによると、「スーパーイレバン」が掲載されて以来30年間、反応を目にしたことがなかったらしい。

 90年代になると、西田氏はインディーズミュージシャンとして活動を始めることになる。1996年には自前のレーベル「TULIP HOUSE」を設立。音楽活動と並行してレトロPC用ハードの開発・販売も手がけるなど、精力的に創作活動を続けている。しかしゲーム製作からは離れ、ゲーム作家としては沈黙の時が続いていた。

 2017年春。復活の狼煙は突如として立ち上る。西田氏が自サイトとTwitterで、「スーパーイレバン」ROMカートリッジ化の成功と、近日販売開始予定であることを発表。この報せはMSXをはじめとするレトロコンピューティング界隈で話題となり、「イレバン」は一躍注目されることとなった。

 そして2017年5月、ROM版が発売。ROM版は雑誌掲載版からテキストを一部変更。タイトルも「イレバン」に改められた。販売にあたっては、西田氏自らがROMカートリッジを随時生産、数量がまとまり次第販売日時を告知、同氏のサイト上で注文を受け付け販売するという形式を取った。その反響は大きく、毎度購入受付開始から時をおかずに完売の連続。日本国内のみならず海外からの注文も多数で、SNS上には購入できたユーザーの喜びの報告や、ゲームを賞賛する書き込みが相次いだ。こうして永らくマイコンの歴史に埋もれていた「イレバン」は、30年の時を超えて見事復活、レトロゲーム愛好家にその名を知られるようになったのである。

 現在のMSX界において自作ゲームをROM化して販売する制作者は何件か存在するが、「イレバン」の製造販売を手がける「TULIP HOUSE」がユニークなのは、ROMケースを手作りしているところだ。「イレバン」のROMカートリッジケースは、おなじみのプラスチック成形されたものではなく、市販のカセットテープケースを加工したものだ。製造には手製のCNC加工装置を使用している。また、MSX用ソフトのみならずファミコンソフトの開発にも挑戦し、移植版「イレバン」とオリジナルの新作「ベジタブレッツゴー」をリリース。こちらも大きな反響を呼んでいる。

 30年前、個人がROMカートリッジを量産し、世界的に販売することは非常に難しいことだった。それが可能になった背景に、30年の間に起こった変化があることは見逃せない。特にインターネットの普及により、個人でも容易に世界とつながることができるようになったことと、膨大な情報を得られるようになったことの影響は大きいだろう。

 「個人でも少量生産で効率よくモノが作れるようになることが自分の使命。」。作者西田氏は、彼のものづくりについてこう語っている。音楽、手作り雑貨、エフェクター、FDDエミュレーター、拡張ボード、CNC、そしてゲームソフト。そのとおり、「TULIP HOUSE」が手がけるものは実に多岐にわたっている。

 かつては国家や大組織・企業でもなければ持ち得なかった高度な技術や情報が普及していった結果、現在では個人でも世界を見据えたものづくりができるようになった。あまりにニッチすぎて需要が見込めないと世間に見なされてきたものでも、今や個人が世界中のそれを求める人達に呼びかけ、作って直接届けられるのである。

 「イレバン」は単なる出来の良い30年前のゲームではない。30年間に起こった時代の変化の証であり、これからの時代のものづくりのありかたを示す好例なのだ。


「イレバン」インプレッション

 「イレバン」のジャンルを一言で言えば、昔ながらの面クリア型固定画面ドットイートアクションゲームである。言うなれば「パックマン」や「らぷてっく2」の仲間ということになろうか。ゲームの目的は、主人公イレバンを操り、敵をかわしつつ画面内に散らばるお菓子をすっかり食べること。全16面を食べ尽くせばオールクリアとなる。

 早くプレイしたい欲求に駆られインストを読むのもそこそこに起動してみると、シンプルながら賑やかなタイトル画面が目を惹く。画面上部にはグラデーションを効かせた「ILEVAN」のロゴが燦然とし、下部では登場キャラクター達が出番を待ち構えている。往年のアーケードゲームを彷彿させる画面ながら、「(C)1987 & 2017」の文字は、この作品が30年の時を超えて蘇ったことの証だ。

 スペースキーを押す。短いながら愉快なデモで「WELCOME TO ILEVAN'S WORLD!」とプレイヤーを迎えてくれる。そして何行かのメッセージが表示された直後、ゲーム画面が現れる。

 まず目を奪われるのは、画面の美しさだ。きちんと描き込まれた背景に障害物、おいしそうなお菓子の数々は、見ているだけでワクワクする。当時のホビーパソコンではグラフィック性能が貧弱とみなされていたMSXながら、巧みなドット絵によりX1版以上にカラフルで美しい画面を実現している。

 イレバンをはじめとする登場キャラクターも大きな魅力だ。スプライトこそ単色だが、どのキャラも愛嬌たっぷりかつユーモラスに描かれてあり、そしてよく動く! スムーズなアニメーションとアルゴリズムが見事に色の少なさを補い、キャラに命を与えている。現れる数も1匹とか2匹とかけちなものではない。数匹が同時に画面上をうろつくのだ。これだけの数の(そして挙動も異なる)キャラを同時に動かしながら処理落ちは一切なく、動作は快適そのもの。操作性も良好で、イレバンを動かしているだけでも楽しい。さすがオールマシン語。その分プレイヤーも手こずらされるわけだが、ゲームとしてはうれしい仕様だ。

 ドットイートゲームなら画面内のお菓子をすっかり食べればよいのだろうとプレイすると、程なく壁にぶち当たる。「あれ?お菓子が食べられない! あ!?敵がお菓子を食べてる! どういうことだ!?」「追いかけがキツくなった! どうやって捲くんだよ??」「えっ!完食したのにクリアにならない。どうして???」



 そう、「イレバン」はただのドットイートゲームではない。「入れ歯」「口臭」「満腹度」。この三つの要素が「イレバン」を独特にしているのだ。

 主人公イレバンは「入れ歯」をはめている(そもそも「イレバン」の名前は日本語の「入れ歯」に由来している。入れ歯というフィーチャーは、なんでも西田氏が幼少の頃近所に住んでいた、入れ歯で奇行を重ねる老人から着想を得たのだとか。)。イレバンがお菓子を食べるにはこの入れ歯が必要である。敵にはこの入れ歯を奪いにくる奴もいる。入れ歯を奪われると、イレバンはプリン以外食べられなくなってしまうばかりか、敵にお菓子まで食べられてしまう。プレイ中はまず、この入れ歯を守ることを考えなければならない。

 入れ歯を取り返すには「ウンチ」を使うしかない。入れ歯を奪った敵がイレバンのウンチを踏むと入れ歯を落とす。これを回収すれば、再びお菓子が食べられるようになる。入れ歯を奪われっぱなしのままでは、当然お菓子の分け前は減る。

 ひたすら食べ続けていると「口臭」の数値が上がる。口臭がひどくなると敵の追いかけがきつくなり、入れ歯を守るのが大変になる。お菓子の中には口臭を消すものもあるので、適当なタイミングで口をスッキリさせることも必要になる。

 そして一番重要なのが「満腹度」だ。満腹度はイレバンがどれだけおなかいっぱいかを示す数値である。お菓子を食べると上がり、「ウンチ」等のアクションをすると減る。「腹が減っては戦ができぬ」というわけだ。

 それだけではない。満腹度はステージクリアの要件となっている。各ステージはお菓子を平らげるだけではクリアとはならない。画面上に食べるものがなくなった時点で、決められた満腹度を満たしていることではじめて面クリアとなる。満たすべき満腹度の数値は各面決まっており、ステージ開始時に提示される(だから「何行かのメッセージ」を見落とすとのちのち面倒になる)。満腹度は攻略に欠かせない各種アクションをするのに必要だが、一定量を確保しなければクリアできない。しょっちゅう入れ歯を奪われたり、調子に乗ってウンチばかりしていると、満腹度が足りなくなってクリアできないなんてことになるのだ。

 「入れ歯」があれば「満腹度」が上げられる。「満腹度」を上げれば「口臭」も上がる。「口臭」が上がると「入れ歯」を守るのが難しくなる。「入れ歯」を奪われればお菓子を食べられ「満腹度」を上げられない。「満腹度」を上げなければアクションができず、クリアが遠のく。「入れ歯」「口臭」「満腹度」。プレイヤーは絶妙に関わり合うこれら三要素に、常に気を配りながら立ち回らなければならない。

 さらにこれらの関係をかき乱すのが、多数登場するアイテムだ。画面内に散らばる食べ物は、いずれも様々な効果を秘めている。何も考えずに食べているだけでは、思いもしないところで足元をすくわれる。この手のアクションゲームには、アイテムひとつで突如攻防が一転するところに面白さがあるものだが、「イレバン」では目まぐるしく攻防が入れ替わり、プレイヤーを飽きさせないのだ。

 ただしその分ルールは複雑である。プレイにあたって覚えるべきことが多いため、説明書を読まずにプレイできるゲームではない。先の面を見るためには、個性的な敵の特徴やアイテムの効果を、インストでいちいち把握する必要がある。それゆえ難易度は高く、手軽に遊べるゲームでもないので、万人にお薦めしづらいことは確かである。

 とはいえ、全16面はいずれも複雑なルールを上手く活かしたものが揃っている。全16面は一見少なそうだが、アクションの腕が必要な面もあれば、パズルのように頭を使う面もあり、両方が必要な面もありと、どれも手強く遊びごたえは十分だ(個人的にはオリジナル面を作れる機能がぜひ欲しかった!)。難しくとも理不尽さはないし、隠し機能でコンティニューも可能である。上達すればオールクリアは不可能なことではない。これだけのルールを巧みにまとめ上げ、見事なゲームに仕立てた西田氏の手腕には驚くよりほかない。

 忘れてならないのは音楽だ。軽快なメインBGMはもちろん、あおり立てるようなピンチBGM、節目に流れるジングル、効果音に至るまで、MSXのPSGを使いこなしてしっかりと作り込まれている。洗練された音楽の数々は、入れ歯だのウンチだの、ともすれば下品になりそうな雰囲気を一掃し、「イレバン」の世界をポップに楽しく彩っている。「イレバン」の魅力の一端がこれら音楽にあることは、プレイした人なら皆納得できるだろう。

 当時、凝った音楽を鳴らせることは、ソフトハウスの実力の指標の一つだった。「イレバン」はそれに匹敵することを、個人でやってのけていたのも驚きだ。西田氏は「ベジタブレッツ」として活動する現役ミュージシャンでもあるが、才能の片鱗は30年前のこの作品にすでに現れている。

 音楽だけではない。「イレバン」は個人制作の作品でありながら、全てにわたってプロ顔負けの内容を備えている。あらゆるところが丁寧かつ確かに作り込まれ、より面白くしようという工夫が作品の端々から溢れているのだ。なかば埋もれていた幻の名作が再び脚光を浴びたのは、その内容が今なお十分に通用する一級品だからこそ。レトロゲーム愛好家には、そこがまた堪らない。

 歯ごたえ抜群の「古き良き」、でも新しいアクションゲーム。これまで日本の一マイナーパソコン雑誌にのみ掲載されていた隠れた名作が再び世に出てきたことは、全てのゲーマーにとって大きな幸福である。あなたも、ようこそ、イレバンの世界へ!